回想7

お盆も終わり、徳島の阿波踊りも例によって100万人以上の観客を呼んだようだ。
新聞に阿波踊りの写真が記事とともに載っていたが、伝統的とされる女踊りの格好で、案山子みたいな踊りが写っていた。変則的な踊りをやると受けるのでその瞬間を捉えたものだろうが、それを「恒例の阿波踊りが行われました」と紹介してしまうのはいかがなものか。まあ、伝統的も何も、あれも観光用に作られたものだけど。
阿波踊りの「えらいやっちゃえらいやっちゃ」は昭和初期にお鯉さんという芸者さんがレコーディングしたものが流行って観光客を呼び込むことに成功したわけで、元は盆踊りと
呼んでいたらしい。ただ、別の説ではすでに阿波踊りという呼び方はあったという話もあるそうでちょっと真相はわからない。
ただ、わかっていることは昭和初期の段階では「阿波踊り」というのは全国的には知られておらず観光の目玉ですらなかったということだ。根拠は何かというと、私の手元に昭和12年発行の「毎日年鑑」という当時の毎日新聞が発行した古い本があるのだが(祖父の家から発掘した)、これに全国の観光地の案内が載っている。当時のことなので朝鮮から台湾の温泉旅館の案内まで載っている。これの徳島県の項目には阿波踊りなど出てこない。十郎兵衛屋敷が載っているのにである。この4年後には真珠湾攻撃なので観光の呼び物として本格化したのは戦後のことではないだろうか。
徳島には「盆踊り」の他に「神踊り」というものがあって、地域の神々へ奉納する中世歌謡が各地で伝承されている。たとえば鮎喰川沿いに集落を上流へ行くほどにそれぞれ違う神踊りがあるということだ。これは『徳島県民俗芸能誌』という本(高くて立ち読み)に集大成されて紹介されている。阿波踊りにも神踊りの影響はあるのかもしれない。
また、海で遭難した漁師の霊を慰めるために始まったと伝えられる「津田の盆踊り」というものもあって、こちらの影響も大きいのかもしれない。
どちらにせよ、元々は今のような観光用のものではなくてもっと純粋に霊供養や神への信仰のための踊りだったということだ。
その盆踊りを初めて外国人として紹介したのがモラエスという人だ。この人は徳島で恋に落ち、徳島で骨を埋めた哀しく美しいエピソードをもつ人である。文筆家という点では同じなのにハーンのようには有名ではない。
モラエスは「徳島の盆踊り」という著作でこの霊供養の盆踊りを紹介した。
この著作を元にA・C・スティーブンは徳島に潜入し、この盆踊りの記録映画の撮影に成功した。
それが1965年の
「死霊の盆踊り Orgy of the Dead」
というドキュメント映画である。
この映画の全国上映での大ヒットによって、今の阿波踊りに全国から注目が集まるようになったのである。
踊るアホーに信じるアホー、同じアホなら踊らなそんそん

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