回想4

大学時代は徳島に住んだ。徳島とは四国にある。昔、ギネスに載った長寿世界一の泉重千代さんという人が住んでいたところ、、、と思って受験したら、あれは徳之島という別の島だった。というぐらいに徳島は知らない土地だった。大阪に住んでてこれぐらいだ。今だに讃岐うどんは徳島だと思っている人もいるし、香川県と高松県というのがあるという人もいる。たぶん高知県と間違えているのだ。それぐらい世間に認知されてない島だった。
そう、島だったのだ!ほんの20年近く前までは。
何しろ本州とつなぐ橋が無かった。船か飛行機しかなかったのだ。定期船、飛行機はあったが観光客は何も気付かず行き来していた。しかしインフラの整備が遅れ、交通の便が悪いため訪れることのできる観光地は限られていた。観光客には何も気付かれないようにされていた。しかし徳島に住もうという人間への扱いは別だったのだ。しかしそんなことは知らない我々受験生はフェリーで徳島へ着いたのだ。するとそこには聞いたことのない言葉をしゃべり別の思想を持った人々が待ち構えていた。街の中心部に山がそびえていたが放送用の電波塔が乱立しており県営放送の電波および他地域からの放送の妨害電波が流されていた。街で購入したテレビはチューナーが固定され県営放送しか視聴できないようになっていた。しかし庶民は庶民で屋根に長いポールでアンテナを立て大阪からのTVを視聴していたようである。しかし、そういう家は一夜にして一家行方不明になることが多かったようであるが。
ここまで書けばわかると思うが徳島は四国という離島であったため戦後日本とは別体制で統治されていたのである。しかし四国以外の地域の日本人は巧妙に情報を隠されていたためまるで真実を知らなかったのである。「本土」から来る観光客には演技をすることが義務付けられていた。観光といえば阿波踊りであるが、重要な徳島の観光収入源であり外資を稼ぐために春から民衆は毎日借り出され練習を強制される。練習のグループは連と呼ばれ、それぞれの思想、階級、所属などで分けられており、県への不満分子を見つけ密告するシステムとして機能していた。しかしながらこのようなことを続けていてはいかに監視が厳しかろうが不満は出てくる。従って県民は県特産のスダチという麻薬作用のある柑橘類を食べさせられていた。魚のみならず味噌汁、ミネラルウォーターにもスダチを絞り毎日摂取しておりスダチなしでは生きていけない廃人にすることによって支配されていたのだ。
四国にはその名の通り4県ある。徳島は他3県とは険しい山で遮られており、孤島の中の孤島であった。主要な道にはゲートがあり封鎖されていた。無論、幕末に土佐の坂本龍馬が脱藩したような抜け道はあったので若干の人の交流はいまだにあった。しかし、それぞれ方言が違うのですぐ見破られる。高知の人間は水は飲まない代わりに酒を飲むのでばれる。香川の人間は米を食うふりをして自分で打ったうどんを食うのでばれる。愛媛の人間はポンジュースをついつい買い求めてしまいばれる。そうやってどれだけの人間が鳴門の渦に沈んでいったことか。なぜこんな四国内で内戦状態になっているのかというと経済の問題であった。経済状態が悪いと戦乱の世となってしまうのだ。本土は四国へのエネルギー、食料援助を制限していたため、小さな島国では全体主義体制の独裁者でクニを統治するしかなかったのである。エネルギー問題解決のため愛媛は原子力発電をソビエトからの技術供与で開発をしていたが、メルトダウンを起こしたという情報を最後にほとんど何も伝わらなくなってしまった。
大学では比較的自由な行動が許されておりサークル活動などもできた。マンガを描くサークルにも入っていたが、へたな作品を描こうものならしょっぴかれるためひやひやものであった。従って地下活動で描くしかなかったのである。当時はパソコンもプリンターもスキャナーもコピー機も販売禁止だったため、皆「ガリ板刷り」で同人誌を発行していた。必死の思いで闇輸入した杉浦茂本の可愛い女の子などをまねてロリコン絵などと呼ばれていたものである。
あんな暗い明日をも知れぬ社会にいた頃はこうして「本土」に帰れる日があろうとは思いもしなかった。
今や、「本土」いや本州とは3つも連絡橋が出来、自由に行き来できるのである。
これは市民の一斉蜂起がきっかけとなり(阿波事変)、手に入った自由のおかげなのだ。
しかし、この話は報道管制のために現在でもまったく伝わっていない。

コメント