高知県大豊町で碁石茶という乳酸発酵の固形茶を日本で唯一生産している農家がある。四川省、雲南省からビルマで同じような磚茶を生産しているそうである。四国の山間は日本で唯一、京大の文化人類学のチームが研究対象としたこともあることで有名である。高知の土着民間陰陽道「いざなぎ流」は有名だが、四国山間地には、本州とは独自の土着文化があったのだ。阿波(徳島)までのルートはいくつかあるが、谷間にある道ばかりでなくて、標高1000mを超える剣山山地の縦走ルートというものがあった。昔の四国の人間はこのルートを使って阿波と他の地との間で交流を持っていたのだ。しかし、長い四国内戦が続いていた80年代、主要なルートは封鎖されていた。そのため、この古道が連絡用(スパイ用)として再使用されたのだ。間者が剣山にまず登るには古くから信仰登山で有名な見ノ越はチェックが厳しいため、裏のスーパー林道から熊笹だらけの道を上る。山頂からいよいよ丸石山方向へ縦走し池田方向へ向かうのだ。しかし多くが途中で道をふみはずし、遭難し、たどりついた先で惨殺され、ほとんどが帰ってこなかった。当時の徳島は本州からの補給を受けることもできず(阿波踊りの観光収入は最大の外貨獲得の機会であった)、孤立した状態で他三県と戦いつづけなくてはならなかったのだ。また、徳島国臨時政府に対する内側から攻撃もあり、毎日が血の匂いがただよう学生生活だった。俺は力がなかったのでマンガを描いてアジビラを作るしかなかった。資料が戦後直後の杉浦茂の西遊記しかなかったため、必死に模写してガリ板でビラをつくった。
ビラの文面ははっきりとは覚えてないが「讃岐の民よ、四国ではアメリカの秘密爆弾のせいで米が作れなくなったため、小麦しか作れない。と騙されてうどんばかり食べてませんか?阿波には豊かな吉野川があるので米と肉を毎日食べることができます。」というような内容であった。
本州でまた徳島大学で楽しい平和な毎日を送れると信じて受験勉強をしていた日々。あの頃に戻りたい。目の前の海を越えるだけでその世界なのに。
、、、、、自由がほしかった。抵抗運動で我々が戦ったのはただそのためだけだったのだ。
回想6
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