ブラックバス駆除の新聞記事

あまりこういう固い話は避けるように書いてきたのだが、朝日新聞の夕刊だかにブラックバス駆除の話が載っていた。以前、
○駆除の効果的な方法が開発された
○地元の小学生も駆除に参加
という記事を載せて、それについて中学生からのメールで「小学生に駆除を手伝わせるなんてひどすぎる。命の大切さを学ぶところなのに」というのが来たそうで、それについての反論記事だ。
この中学生は在来魚の命のことなど考えていないのだろう。
タンポポ論争というのがあった。ある主婦が公園でタンポポ摘んでたら鑑賞する人もいるしマネする人もいるからやめてくれと言われたと。子供の場合は一回花輪を作ったらすぐしおれたので花は摘むと10分でしおれると教えると次から1つにすると言った。ある主婦は娘に花だって痛いのよと大切にながめるようにと教えています。
「死」を知らない世代が増えている。死から目をそらすように教えられた子供は命の大切さを知らず、自然の営みに思いをはせることも少ないかもしれない。。。。この中学生はタンポポ摘んだことがあるのかうんたらかんたら

というような記事。
正直、ブラックバス駆除をひどい→在来種の命を考えてないだろ→死から目をそらすように教えられた子供、、、
という話の持っていきようは短いコラム欄だから仕方ないかもしれないが強引だし、そもそもその中学生はなんら説得力を感じないだろう。
まずはこの話の「ブラックバスで在来種が絶滅する」という前提を納得させないといけないだろうが、大人でも未だに論争なり裁判なりやっているのだから、難しいだろう。
以前、参加していたパソ通の釣り専門フォーラムで、ブラックバスやトラウトのリリースについても「死」という言葉が持ち出されてこんな話の展開がよくされていた。
バスの場合に特にそうなのだが、リリースすることによって命の大切さを教えられる。
これへの反論のパターンは
・そのバスによって食われる在来種の命はどうでもいいのか
・殺すもしくは食べることによって却って命というものを考えることができるようになる。
トラウト(岩魚とかヤマメね)のリリースについては
・食べることによって自然からのめぐみをいただけるという感謝の念が生まれる。
・食べて供養になる
この最後のあたりになるといつも違和感があって、まあ、死んでしまったらできたら食うべきだと思うが、生きてるのならわざわざ殺して食って供養しないといけないのかよ?自分が魚だったら供養はいいから逃がしてくれと思うだろ。とか考えたものだ。供養なんつう仏教的な思想を食いたい満足したいという欲望の隠れ蓑にしてるようで嫌だった。
「食いたい」とはっきり素直に言えばええやんと思ったものだ。
駆除しようがキープしようがリリースしようがそんな行為のどれかを選ばないと命の大切さは教えらないという○×思考に抵抗感がある。
「駆除させるなんてかわいそうだ」「たしかにかわいそうだけど、食われて他の魚が減ってしまうんだ」
そこに「命の大切さ」「死」とか言い出して説教たれたがるのが好きな人が必ずいる。

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